秋晴れの気持ちよい十三夜の夜。若松孝二一周忌を迎えた。
下高井戸シネマでは「千年の愉楽」に引き続き近作メイキング上映。
上映後の場内は、汗ばんでいるような、呼吸しているような
湿った熱で満たされていた。
その熱をじんわりと漂わせて、ジム・オルークさんの演奏が始まった。
「『海燕ホテル・ブルー』では、実際はギターをあまり使わなかったけれど
今日は、『海燕ホテル・ブルー』を演奏するのがいいでしょう」と語り、
ジムの手がギターをなでると、
静かに、黒砂漠と波しぶきが場内の空気を揺さぶり始めた…。
続く、渚ようこさんは、若松監督に時に厳しく鋭くアドバイスされながら
コマ劇単独リサイタルに挑んだ事などを話しながら
『実録・連合赤軍』劇中歌として歌って頂いた『ここは静かな最前線』。
そして、監督も大好きで、阿部薫さんが亡くなった時に聴いていたという
『Summer time』を、子宮に戻って行った監督に寄り添う子守唄のように。
そしてラストに『天使の恍惚』より『ウミツバメ』。
椅子から立ち上がって歌う渚さんの声に、高橋ピエールさんのギターがからみつく。
静かに熱く、闘い続けた監督への鎮魂歌。
空間を満たす音の中に、震える空気の中に
まるで映像のように思いや存在が立ち昇ってくる。
それは、各自の心の中にいる若松孝二の姿であるかもしれないし
その個的な姿を越えたなにものだったのかもしれない。
音を奏でる事は、太古より、彼方との道をつなぐ一つの方法だったのだと
全身で感じた瞬間だった。
ライブのラストは、若松監督も熱望していた
『千年の愉楽』の中村瑞希さんによる奄美の島唄と三線。
「最初にお話を頂いた時は、なぜ奄美の島唄なのかなと思ったのですが
小説を読み、脚本を読んで、ああ、通じている、と。
奄美は薩摩や琉球の支配という歴史を歩んで来て、
自分たちは口にする事もできないサトウキビを育てて献上してきた。
そして、その辛さや苦しさを島唄に込めていました。
監督に、奄美の言葉はわからなくても、その心の叫びが聴こえていたのでしょうか」
そして、マイクを通さない、中村さんの肉声の島唄のライブが始まった。
「糸繰り唄」「うけくま饅女節」
半蔵の、三好の、達男の、生きて死にゆく様を描く度に
ずっとこの節を監督が聴いていた、あの現場を思い出す。
時間も場所も、全てが一つの弧のようにつながっているようだった。
そして最後に『千年の愉楽』オリジナルの『バンバイ』を唄ってライブは終了した。
引き続き、井浦新さん、大西信満さん、満島真之介さん、辻智彦さんが
壇上に並んでトークが始まった。
「常に、いつも監督の視線を感じる」とカメラマンの辻さんが語ると、
「近くにいてくれると感じずにはいられない」と井浦さん。
「一周忌だからいいことを言おうとかそういう事ではなく
間違いなく、今、自分たちがここに立って、こうして表現しているのは
若松さんのおかげである事を、役者もスタッフも感じている。
であればこそ、言葉でどうこう言うより、
きちんと仕事をやり続ける事でしか恩返しはできない」と大西さんが言葉をつなぎ
「僕は、監督との現場で初めてカメラの前に立った。
今も、どうやって闘えば、ああいう背中になれるのか、と追い求めている。
時間が経つと、罵倒の言葉も愛に変わっている。それを実感してきた1年だった」
と満島さんが語った。
しんみりと言葉をつないでいたが、後半、
大西さんが大森監督にカメラマンの辻さんを紹介しようとしたら、
実は独占欲の強い若松監督が
「俺が育てた辻君をなんで紹介するんだ!俺のもんだ!」と烈火の如く怒った話など
若松監督の素顔が垣間見えるトークで場内に笑いも。
濃密な時間が凝縮された空間は
ポレポレ東中野のレイトイベントへと移動して続けられた。
ポレポレ東中野では、若松監督デビュー作『甘い罠』が上映されるとあって
満員の場内は上映前から静かな熱気で満ちていた。
そして60分ほどの短いデビュー作が……。
「世の中には、甘い罠が満ちている……」というナレーションのもとで
60年代の東京の町並み、人間たちの姿が映し出される。
若い男のモヤモヤ、言葉、仕草、風景、女性の描き方。
不思議な事に、オーソドックスな画面の随所から
若干26歳の若松監督の姿が見えてくる。
あの時、この絵を切り取ろうとして、はち切れんばかりの負けず嫌いな思いで
現場に挑んでいた監督が見えてくるようで……。
あれよあれよと展開していく、物語の果てに
唐突に現れた「終」の文字。
灯りの付いた場内は、着地しきれない観客の気持ちが充満しつつ
再び、ジム・オルークさん、渚ようこさん&高橋ピエールさん、中村瑞希さんの
ライブが始まって行くのだった……。
そして、再びの4人のキャストスタッフトーク。
「……甘い罠……」と井浦さんが言葉を切り出すが
会話が回っていかない。これは『甘い罠』のトラップか。
「……『終』マークにこれほど驚愕したのは初めてで…」と大西さん。
「僕も前につんのめりました」と井浦さん。場内笑い。
辻さんが「僕は、ちょっと違う見方をしてました。
若い助監督から叩き上げの監督が、ここに至るまで
どんな思いをしてきたんだろう、と思うと、
違う意味で、涙がこみ上げて来ました」
「若松監督は、乱暴で乱暴で残酷な作り方をする、
あの100本以上の作品の最初の一滴、その源流なんだとしみじみ感じましたね。
最初の作品は技術スタッフもベテランばかりで、
若い監督は言葉でうまく伝えられずに
新聞の写真などを100カット切り抜いてスクラップブックに貼って
それで、「次はこの絵で」と説明したんだと話してくれた事を思い出しました」
と井浦さんも監督のデビュー作のエピソードを披露した。
「最後の唐突さは、海燕を思い出した」(辻さん)
「刺されて死ぬボス、地曵君(『海燕』主演)に似てたよね」(井浦さん)
「芝居も似てたね」(大西さん)
「監督、ブレてないんだよ…」(井浦さん)
「……」
「甘い罠のせいで、言葉少なくなったね。真之介はどうなの」(大西さん)
「甘い罠には、気をつけようと思います」(満島さん)
と、若松監督デビュー作でカウンターパンチをくらった4名は
かろうじて言葉をつなぎ、客席にいた若松監督の盟友・足立正生さんに
コメントを求める一幕も。
最後は、「どんなにこれからいくつもの現場をやっていくとしても
自分たちは、どこの出身か、と聞かれたら
『若松組です』って、そう答えだろうと思うんです」と大西さんが語り
「若松監督の現場で学んだ事は、身体の奥で原動力になってる。
監督が旅立ってから、若松監督の遺志を継いで…と言ってる人たちを
僕は反吐が出そうな思いで見ていました。
若松監督の映画は若松監督にしかできない。遺志を継ぐ事はできない。
監督の新しい作品はもう見る事はできないけれども
監督が遺してくれた作品たちとの出会いがこれから待っている。
時間をさかのぼるようにして観るのもいいと思います。
様々な場所で上映される折に、監督の作品を心ゆくまで楽しんでください」
と井浦さんが、11月に開催される「若松孝二写真展」や
12月に奄美大島で予定されている「千年の愉楽」ライブと上映とトークイベントなど
これからの事を告知して、トークイベントは終了した。
慌ただしくも濃密だった一周忌当日に引き続き
本日も下高井戸シネマにて『実録・連合赤軍』『11.25自決の日』2本立て。
そして、名古屋のシネマスコーレでも
『実録・連合赤軍』『キャタピラー』『11.25自決の日』上映と
各上映後に井浦さん大西さんのトークが行われている。
名古屋では、明日も
『若松孝二を語るシンポジウム』が行われ、スコーレ支配人の木全さんと
井浦さん、大西さんがじっくり若松孝二と作品を語る1時間半。
午後には『海燕ホテル・ブルー』の上映と舞台挨拶も。
さらに、夜には大阪『第七藝術劇場』にて
『実録・連合赤軍』『海燕ホテル・ブルー』上映と
こちらも井浦さんと大西さんのトークが行われる。
若松孝二、一周忌キャラバンは、続く。
たくさんの方に支えて頂いて実現できた一周忌を巡るイベント、
心より、感謝を申し上げます。
監督逝去直後に、予定通りに行った下高井戸シネマでの
『11.25自決の日』の上映とトークイベントや
急遽決まった東京国際映画祭での『実録・連合赤軍』追悼上映と
トークの時を思い出します。
打ち拉がれて、現実が飲み込めないままに、呆然としながらも
登壇してくださったキャストやカメラマンの辻さんの姿が一年前にはありました。
そして、今、遺作を全国に届けた後に、再び一年後に
このような形で登壇して頂けた事、劇場にたくさんの方に足を運んで頂いた事
このイベント実現のためにお骨折りくださった皆様に
心より、感謝申し上げます。
遠くの地から心を届けてくださった皆さまも、ありがとうございました。