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2006年01月 アーカイブ

2006年01月05日

<オルークと若松映画>記事掲載

214_edited_1 明けましておめでとうございます。

今年はいよいよ「実録・連合赤軍」制作に向けて具体的に動き始めます。

それに先立ち、朝日新聞1月4日付夕刊5面(都内版)に若松さんとジム・オルークの関わりについての記事が掲載されました。ご一読ください。

また、ジムのメッセージは当サイトのトップページからご覧いただけます。すこし重いかもしれませんが、こちらの方もお忘れなく。(B)

2006年01月07日

しびれるとき

1月5日夜、監督と打ち合わせ兼新年会。
「冷え込み厳しい年始でしたけれど、
体調は大丈夫でしたか?」と聞いたら
「大丈夫。ずーっと連赤のこと考えて
燃えてたから」と監督。

監督に火がつきました。

制作費募集のチラシやハガキ作成など
宣材ツールを充実させていきます。
チラシの配布など、ご協力頂ける方
ぜひご一報をお願い致します。

さて、この夜、お店で偶然の再会がありました。
HANA-BIなど数々の日本映画のタイトルデザインを
手がけている方とその奥様に遭遇。
監督とはそのお父様の代からのおつき合いだそうで、
一緒に飲みながら、監督が連赤の構想を話しました。

「あの時代を若松さんが撮るのは大賛成。
というよりも、若松さんしか撮れないでしょう」

ということで、題字でご協力頂けることになりました。
ありがとうございます。

この夜、このご夫婦と一緒に飲みながら、
こんな話しが出てきました。
1980年代、山谷の労働者を撮影していた若い映画監督が
右翼によって殺された事件。
その後、撮影を引き継ぐことになった人も射殺されました。
「表現者が殺されたこと」に怒った監督が
これは「政治」だからという理由で何も動かなかった監督協会にも腹を立て
デモの嫌いな監督が、デモに参加したこと。
山谷の活動家たちに話しに行ったこと。

「思想のために、表現者が殺されたんだから
黙ってていいのかって。
俺は思想もへっちゃくれもないけどね
どうしても腹が立ったんだよ」

1月4日の朝日新聞の夕刊で
ミュージシャンのジム・オルークさんは
若松映画についてこう語っています。

「強大な壁に対する激しい怒りと無力感を同時に、
しかも詩的に表現している」
「ピンク映画から出発した若松さんは、
閉ざされた枠組みの中であらゆる手法を使いながら、
表層の下に様々な意味を込める」

監督の感覚が炸裂したとき、
そして、それに自分の感覚が共振したとき。
これが、しびれるとき、というのでしょう。(A)

2006年01月17日

エッ!? 若松孝二監督、獄中に!!

2006011601_edited_3 ……アハハ、冗談です。左の写真は、足立正生監督の復帰第一作『幽閉者』の撮影現場での一コマです。

若松さんは、昨日(16日)『幽閉者』のメイキングビデオのインタビューを、牢獄のセットの中で受けました。様々な質問に対する答えの中で、この『幽閉者』を「モデルになった岡本公三にも現地で会ってるし、どんな仕上がりになるのか楽しみだ」と、答えていたのが印象的でした。でも、牢獄のセットの中でのインタビューとは、考えたものです。

2006011602_1 若松さんが撮影現場を訪れたのは、エキストラとして出演するためです。ほかにも足立さんの友人の松田政夫さんや平岡正明さん、流山児祥さんなどが呼ばれていました。待機中はジョークや共通の知人の消息などが飛び交い、極めて和やかな雰囲気。でも、撮影準備に入ると、若松さんは助監督に遠慮なくダメ出しをしました。……ほかの監督の助監督で、ほかの監督の撮影現場なのに(笑)。

2006011603_edited

おそらくそうしたのは、足立正生監督の現場だったからでしょう。足立さんは若松さんの名作の脚本を多数書いています。彼がアラブへ去ってからも、若松さんは毎年のようにレバノンを訪ね、彼と会っていました。そんなつき合いなので、二人の会話は、横で聞いてるとまるで掛け合い漫才です。若松さんと足立さんのこれまで関わりをその会話で描いたら、面白いコメディー作品ができるにちがいありません。

若松プロ出身の高橋伴明監督が、連合赤軍の粛清を描いた『光の雨』を撮り、そしていま、足立正生監督が日本赤軍を描く『幽閉者』を撮っています。若松監督が撮る『実録・連合赤軍』は、それらのモチーフを歴史の流れの中で描く作品になります。(B)

2006年01月20日

鈴木邦男さんと語る

Suzuki_talk

「『突入せよ』とも『光の雨』とも違う、
あさま山荘の内側から、あの事件を描きたい」

1月17日(火)、鈴木邦男さんのトークイベントに
ゲストとして招かれた若松監督は
何が撮りたいのかという問いに、そう答えました。

「僕は、あさま山荘の銃撃戦で捕まって、奪還されてアラブに来た板東から、
あさま山荘であったことを聞いているんですよ。
今は、彼らはただただ残酷なテロリストみたいに言われているけれど
あの時一体何があったのか、誰もきちんと描いていないじゃない」

だから、あの当時、世界ではどんな事が起きていて
日本の若者たちは何を考えていたのか、
そして、どんな状況の先に、あの事件が起きたのかを
監督は歴史としても残しておきたいのだと言います。

「3万円の前売り券を買ってくれる人が1万人いればこの映画は撮れる。
逆に言えば、この映画を観たい、と思う人が1万人集まらないようなら
この映画を撮る必要はないってことじゃないですか。
これまでも、俺が映画を撮ってきたのは、
それで金を儲けたいからじゃないもん。
『面白い』と思ってたくさんの人に見てもらえたら
『これで、次が撮れる』と思うだけ」

監督に、『次』を撮らせたいと思う人たちによって
『実録・連合赤軍』が実現します。(A)

2006年01月25日

音楽、ジム・オルークに決定!!

2006012401 昨夜(24日)、新宿ゴールデン街で、若松さんは日本滞在中のミュージシャン、ジム・オルークさん(写真左端)に会いました。ジムさんは、知る人ぞ知る若松映画の大ファン。当サイトのトップページには、ジムさんのNYの自宅からビデオ・メッセージが寄せられています。そして、昨夜、ジムさんは『実録・連合赤軍』の音楽を担当することを、正式に承諾してくださいました。

ジムさんは、現在日本語を勉強中です。彼の日本語は、半年前に比べかなり上達しています。そして、将来、活動の拠点を東京に移すそうです。若い世代に支持される世界的なミュージシャンと若松さんの、国境を超えたコラボレーションがどんな作品を生み出すのか、楽しみです。(B)

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