1月12日
川崎のセットでの撮影は、順調に進む。若松監督は、この作品のシナリオに書かれたシーンを順番に撮る「順撮り」をしていない。シナリオを一度バラバラに分解して、必要最低限のシーンを、ロケ場所やセットに合わせて縦横無尽に撮影する方法をとっている。形になったコンテがあるわけではなく、イメージとしてのコンテが若松監督の頭のなかにあるだけだ。したがって、この映画の撮影現場は、そのイメージをスタッフや出演者がドックレースのように追いかけてゆく。
撮影現場で、彼はまず最初に、出演者たちに自由に演技させる。そして、その演技によってカメラの位置やアングルを決め、出演者への注文を出す。つまり、コンテ通りに撮影するのではなく、現実に合わせてコンテを創り出してゆくのだ。これが若松流早撮りの秘密だ。
今日撮影されたシーンは、のちに日本赤軍のリーダーとして名を馳せる重信房子が、のちに連合赤軍のメンバーとして榛名の山岳ベースで殺される親友の遠山美枝子に別れを告げる場面。重信は当時京大生だった奥平剛士と入籍してパスポートを取得し、警察の目を盗んでレバノンへ脱出した。それは、連合赤軍による「あさま山荘」の銃撃戦が終結する、まさに一年前だった。
さらに、赤軍派の植垣康博や進藤隆三郎たちが、森から処刑を命じられた持原好子を離脱させる場面や、革命左派の吉野雅邦たちが逃亡した向山茂徳を処刑する場面も撮影された。両派は処刑に対する対応の矛盾を抱えたまま、連合赤軍としてやがて山岳ベースでの大量粛清を引き起す。
そして、すべてのシーンが雪の「あさま山荘」の銃撃戦へと続いているのだ。
撮影が進み、出番を終えた多くの出演者が現場を去ってゆく。