1月22 日
今朝は、気温-6℃。冷え込んだ。
午前9時半ぎ、撮影用のヘリコプターが仙台から飛来。連合赤軍の残存メンバー5人が、警察の包囲網から脱出しようと雪原を走るシーンを上空から撮影した。ヘリコプターのカメラだけではなく、地上のスノーモービルのカメラも彼らを追う。やり直しがきかないぶっつけ本番だけに、モニターをチェックする辻カメラマンの眼差しも厳しかった。
この大規模な撮影を、地元の河北新報、読売新聞、東北放送が取材。若松監督は、作品の意図を語った。監督の軸足は、この映画の製作を決意したときから、まったくブレていない。つまり、連合赤軍という「事実」を残すためにこの映画を撮っている、と。
そのあと午後、10年あまり前に建てた若松監督の山荘を、「あさま山荘」として撮影するための準備が始まった。家財道具や家電製品が次々に運び出され、まるで引っ越しのようだ。だが、再び使える。しかし、ここは再び使えるかどうか、わからない。「あさま山荘」として撮影するということは、銃撃戦の末、機動隊が建物を破壊して突入することを意味する。若松監督は、「映画で建てたのだから、映画で壊したって惜しくはない」と言う。監督が私財をなげうつこの映画のクライマックスは、いよいよ明日から撮影される。