1月24日
今日から、いよいよ「あさま山荘」の攻防戦の撮影が始まった。山荘には、催涙弾が撃ち込まれ、なかは白い闇に覆われる。いちどでも催涙弾の洗礼を受けた者なら、その苦しさがわかるはずだ。実物の催涙弾が使われたわけではなかったが、出演者たちは発煙筒やスモーク筒に演技ではなく咳き込んだ。「あさま山荘」攻防戦の後半は、連日、警察の催涙弾の射撃が続いた。
警察が強行突入を図ったのは、連合赤軍の5人が「あさま山荘」に侵入してから10日後だった。なぜ、そんなに時間がかかったのか? 当時の後藤田警察庁長官が、「全員生きたまま逮捕しろ」という指令を出したからだ。警察の上部は、連合赤軍の「あさま山荘」籠城が始まった頃には、妙義山で逮捕した奥沢修一などを通して、同志粛清の事実をほぼつかんでいた。だが、警察側はその発表を抑えた。それは、反権力の銃撃戦を集団殺人の印象にすり替えるためだった。
また、連合赤軍は「見せしめ」にもされた。籠城したメンバーの母親や父親を呼び寄せ、その口から投降を呼びかけたのだ。なかには、すでに処刑されていた寺岡恒一の親まで含まれていた。もちろん、彼らはそれに応じないばかりか、銃の発砲で返答を浴びせたのだが……。
連合赤軍による「あさま山荘」銃撃戦は、日本の太平洋戦争後の時代、いわゆる[戦後]の転換を告げる出来事だった。警察側の戦術には、日本が引きずる家父長制度も利用された。それが、親による投降勧告だった。家族の崩壊は、いまでも衝撃的な事件を多くひき起こしている。
彼らはその後の日本が進む現在の姿を、予感していたのだろうか?彼らが目指したのは、彼らが掲げる共産主義ではなかったと思える。「あさま山荘」で響いのは、いまも続く「日本」に終焉を告げようとする銃声でもあった。
そして、いま、この作品も監督のイメージと出演者の演技との間で、最後の攻防戦を迎えている。