7/20(火)PFFぴあフィルムフェスティバルで行なわれている若松孝二特集My Best Wakamatsuでゲストに瀬々敬久監督を迎え、『性賊/セックスジャック』についてトークショーがありました。
まずは瀬々監督が壇上にあがり、「ぼくがピンク映画に興味をもった一番の理由は、若松監督がいたのが大きい。実験的で二十歳前後の自分は強い感銘を受けた、監督の著作「俺は手を汚す」を読み、手を汚してまで映画を撮る。今日はその中でもっとも好きだったセックスジャックについて話を聞きたいと思います。」と挨拶されました。
それをうけて若松監督が「ピンク映画の黒澤です」と、続けて「セックスジャックは冒頭の部分、学生運動のゲリラ撮影からはじまり、70年代安保で、その日革命が本当に起きると思った、その場面を撮らなくてはいけないと思った。ただ、その中で、倒れていた血だらけの学生を他の派の人たちは助けない、見向きもしない。これでは日本はどうにもならないと思って個の戦いを撮ろうと思い、一人の主人公をたてて撮ることにした。」と映画を撮ることになった経緯を話しました。瀬々監督は「80年代にはあの時は素晴らしかったという空気に満ちていた、どうせそんなものだろうと思い次に行かなければと考えた、映画を見てすごくシンパシーを感じた、腑に落ちる映画だった」と映画を見たときの事をはなされました。
脚本の足立さんの話になると、「いつも飲みながら話をしていた、そうすると2,3日で書き上げてくる。誰が見ても難しいものはすべてカットした、自分の分からないものはとらない。そのことで未だに足立はおこっているんだ」そして、「ただセックスジャックはOK。難しく書きようがない、現実があるから、」「役者は助監督をやりながら、演じていた」と当時のスタッフについて話すと
瀬々監督は「自分を監督と呼ばれたい人たちが多い中、若松監督にはみんな若ちゃんと呼んでいて、同志的なものを感じた」とそんな雰囲気に憧れていたそうです。
また、若松監督は「映画は自分一人でやっているわけではない、みんなで撮っている。
プロダクションを作ったのは当時、外国へ行き日本はお決まりの映画ばかりが流行っていたが、日本と違う社会的なもの、自分の好きなことを表現する、自分の好きなものを撮りたいと思った、自由としてのプロダクションを設立した」と独立プロ設立を熱く語られました。
瀬々監督からの質問でSEXのシーンでパンを多様するを意図を聞かれた監督は「尺かせぎかな?自分では意識せずにとったものに海外とかみんな理屈をつけたがるんだ」とその答えには瀬々監督も「ががっかりです」と会場が笑いに包まれる場面もありました。
最後に監督は「何かを作りたいという心があれば、みんな映画は撮れるんだ、志の問題。次のステップに行きたいだけなんだよ」映画を撮り続ける監督だからこその思いを皆さんに伝えていました。
トークショーが終わってのロビーは監督に質問する多くの人であふれていました。
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監督曰く買って損はないとのこと、是非一度手にとって見てください。