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豪華絢爛~ゲスト11名・若松孝二オールナイト!!!

「キャタピラー」ヒット記念若松孝二オールナイトが、9/18(土)にテアトル新宿で行われました。この日の為に若松監督、篠原勝之さん、大西信満さん、ARATAさん、地曵豪さん、粕谷佳五さん、安部智凛さん(魔凛碧さんから改名)そして連合赤軍に出演されていたウダタカキさん(菟田高城さんから改名)、タモト清嵐さん、並木愛枝さん、藤井由紀さんの合計11名のトークゲストが集まってくださいました!そして「今日は何を言っても怒らないと監督から許可をいただきました!」と司会をかってでてくださったのは、テアトル東京の沢村さんです。23:45開始という時間にも関わらず、多くの観客の方にお集まり頂きました。沢村さんの紹介でゲストが続々登壇すると「こんなにゲストがいるの!?」と思わず観客席から歓声が上り、大きな拍手が沸き起こりました。

今回のオールナイトは「キャタピラー」と「実録連合赤軍あさま山荘への道程」の2本立てでした。「キャタピラー」観ている方は1/4、「連赤」を観ている方は1/2の割りあいでした。それもあってか、ゲスト各々の自己紹介が始まると、どこか懐かしい様な暖かい歓声に包まれました。特に連赤で加藤三兄弟の末っ子・元久役だったタモトさんが、「大学生になりました」というと、観客席からは「大きくなったねー!」という親戚の子供を見守るような声がかかりました。

篠原さんが「キャタピラーの主役のクマです!」というと、観客席、そして監督も大笑いです。(真実はキャタピラーを御覧になって確かめてみて下さい)「台本にない役だったから、台本を読んでいなかった。初号を観て初めてどんな映画か知った。役者ではないからこそ悩まずにバカの役が出来た。昔、赤塚不二夫さんたちにもクマはどの時代にもいてほしいバカだって言われていたのを思い出した」とキャタピラー撮影秘話を話されていました。

沢村さんからは「若松流演出術は?」、観客の方からは「何故若松監督作品に出たのか?また若松監督でやりやすい点、やりにくい点は?」という質問がありました。若松監督は笑顔で「今日は何を言っても怒りませんから、自由に話して下さい」とゲストに宣戦布告(?)していました。

「役者の動きに合わせて現場を作ってくれる。自由に芝居をさせてもらえるので、とてもやりやすい現場です」と大西さんが言うと、監督が「大西は連赤でもキャタピラーでもとにかく怒られ続けてたし、毎回最後に怪我して病院送りになる」と応え、さすがに大西さんも苦笑いしていました。(大西さんは連赤では最後の山荘シーンで足が反対に曲がり、キャタピラーでは頭から流血して病院に運ばれたのです!)

ARATAさんは「若松監督の作品には絶対に参加したかったので、連赤の時に直訴しに行った。役者として参加していても、それは芝居ではなく、全てが映し出されるのが若松組」と言うと、皆頷いていました

地曵さんは「新宿のバーで若松監督と隣り合わせになって、志願したのが始まり。初対面にも関わらず、連赤の構想を真剣に話してくれる姿に感激した。役者は監督に喧嘩を売っていく姿勢が必要と教えてくれたのは若松監督」と、連赤とキャタピラーの現場での事を思い出しながら話してくださいました。「僕は自由に芝居をやらせてなかなかカットをかけない。だから長ゼリフが多い森役の地曵は、おんなじ事を何回も言ったり、夢中でしゃべってたな」と監督が笑いながら話されていました。

「連赤で唯一オーディション前から配役が決まってたのは並木さんだけ」と監督が言うと、並木さんは「PFFのパーティーで若松監督に初めてお会いしたときに、次回作に出て欲しいと言われ即答でお受けした。自分は作品の中で生き抜くことが出来るというのをモットーにしているが、若松監督の作品はまさに生き抜くことが出来た。連赤では監督に怒られまくりたい!と思っていたのに、自分と地曵さんだけは怒られる事がなかった。それは役の上でトップである私たち(森役と永田役)が怒られては、他のメンバーになめられてしまう。監督の演出はそういうところから始まっていた。でももっと怒られてみたかった!」と連赤の幹部を演じたからこその思い出を話されました。

「連赤でもキャタピラーでもとにかく怒られ続けた。台本なんか信じちゃいけないと監督に言われ続けた。監督の言葉にはいつでも身が引き締められる」と粕谷さん。粕谷さんは連赤のオーディションでも怒られたそうです。

「大人になって本気で怒ってくれる人は親以外になかなかいない。監督は1人の人間として自分に向き合ってくれる人」と安部さんが話すと、「この子は初日にハイヒールを現場に履いてきて、思わず帰れーッ!って怒鳴った。そしたら助監督が自分の靴を差出した。その時から意識が変わったね」と監督が言うと、安部さんは真っ赤になっていました。「監督に帰れーッ!と怒鳴られて、その日は布団の中で泣いていた。初めて言うのですが、実は就職が決まった会社を辞退して、連赤の現場に入った。毎日監督に怒られるんではないかという恐怖に脅えて、自分の選択が正しかったのかわからなくなった時もあった」と衝撃の告白をすると、観客、ゲスト、そしてさすがの監督からも驚きの声が上りました。それでも監督に撮影後半になって、「オーディションの時に自分自身について真剣に書いた手紙をもらったけど、あの情熱があったから帰れって言ったときも君の事を信用してた」といわれ、安部さんはとてもうれしく、自分の選択が間違っていなかったと思えたそうです。

藤井さんは唐組の俳優さんなので、若松組が舞台以外の初めての現場だったそうです。「映画は初めてだったけど、皮膚で感じて芝居をするのは、若松監督も唐さんも一緒。連赤では芝居をする度に皆の反応が面白くて、自分の中のスイッチが入ったのが分かった。このメンバーで連赤を舞台化する事が出来たらいいのにと思ってます!」と、連赤の新たな方向性?が藤井さんから提案されました。

「はじめはあまり怒られなかったのに、山荘が近づくにつれて僕も大西組になって、よく監督に怒られるようになりました。山荘の中では段取りとは違うタイミングでモンケーンが来て、とにかく無我夢中だった。押えろーッ!て叫んだ気はするけど、あの山荘の中では全て無意識だった。それくらい本気でやるしかなかった」と若松監督流の演出術をウダタカキさんが解説していました。ウダタカキさんは若松監督の助監督をされていた白石和彌監督の初監督作品「ロストパラダイス・イン・トーキョー」に出演されています。明日9/21(火)20:45回上映後にポレポレ東中野で若松監督と白石監督の師弟トークショーがありますので、是非皆様お越しになって下さい!
「ロストパラダイス・イン・トーキョー」公式HP:http://lostparadise.seesaa.net

監督、出演者、そして観客席から「大きくなった!」と言われたタモトさん。「初めて監督に会った時はまだ中学生で、それまでは何かを伝えたいと思える作品に出会った事がなかった。何に銃口を向けてるのか初めはわからなくて、監督にも怒られ続けて、なんでこんな事言われなくちゃいけないんだろうと思っていた。でも監督に本気で怒られ続けた事で何に向って銃口を向けなくてはならないのかがわかっていった。監督の言葉はいつでも自分を奮い立たせてくれる」というと、「また一緒に仕事しような」と監督が微笑んで答えていました。
当初は30分の予定だったトークショーも予定を1時間程オーバーし、大盛り上がりの中25時頃に終了。キャタピラーメンバーに加え、久々に連赤メンバーも加わって、トークショーでは懐かしい時間を過ごす事が出来ました。オールナイトの為に駆けつけて下さった観客の皆様、ゲストの方々、テアトル新宿の皆様ありがとうございました!!!

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2010年09月20日 20:39に投稿されたエントリーのページです。

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