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2011年02月 アーカイブ

2011年02月09日

早稲田松竹で二本立て、スタート!

2月5日(土)、早稲田松竹で「実録・連合赤軍」と「キャタピラー」の二本立て上映がスタートしました。2作品で4時間半以上もの長丁場ですが、場内は満席、上映終了後の興奮冷めやらぬまま、若松監督のトークイベントが始まりました。

 まず監督は、自身のパレスチナのシャテーラキャンプの大虐殺の経験を語り、「常に女性や子どもの弱者が犠牲になるのが戦争だ」と「正義の戦争も国家のための戦争も、まやかしだ」と話しました。「沖縄の米軍基地問題も、小学生の女の子が3人の米兵にレイプされる事件がきっかけになって、基地問題が大きく取り上げられるようになった。だけど、米軍の一兵士が悪いという問題じゃない。戦争というのは、戦場というのは、それだけ、人間性を破壊するものだということ。日本の特攻隊の若者たちだって、1銭5厘のハガキで召集され、クスリ入りチョコレートを食べさせられて突撃させられた。そういう戦争の実態がある」という監督の話しを受けて、次々と「キャタピラー」や「実録・連合赤軍」の作品について、質問の手が挙がりました。

「寺島さんが、勲章や額縁を倒したシーンで、なぜ、天皇の写真は倒さなかったのか?本当は一番倒したかったのでは?(キャタピラー)」

「高校生です。映画の中で花を食べちゃう人がいましたが、戦時中であれば、ああいう人は村の中でひどいイジメに遭ってしまうのでは(キャタピラー)」

「自分は早稲田の大学生だが、当時、火炎瓶投げて、授業料値上げ反対を叫んでいた人たちが、今や教授になって、僕たちから高い授業料を取って、いい生活をしている。定年になれば、僕らの働いたお金から高い年金をもらうんだろうと思うと、あまりに無責任じゃないかと思うのですが(連合赤軍)」等…。

 実にストレートな質問が続きました。
 天皇の写真については「僕は何も言ったわけではないが、寺島さんは、やっぱり、そこは考えて演じてくれたんじゃないか。もし、天皇の写真までやってたら、それこそ、右翼が黙ってなくて、大変だったんじゃないかな。僕も、そこまで度胸ないですし(笑)、これが上映できなかったら、それこそ無一文ですから…」と答え、場内の笑いを誘いました。

 花を食べていた人物については「昔、戦争に連れて行かれないためには、バカのフリをするか、醤油を飲んで肺病のフリをするかだったんです。あれが、本当の反戦ですよ。なにも、暴力やデモだけが抵抗の方法じゃない。ああいう抵抗の仕方だってあるんです。一人一人が、そういう抵抗の方法を考えればいいと僕は思うんです。思考停止に陥らないことですよ。若い人は、世間にかき回されない方がいいよ」

 早稲田の学生からの団塊の世代の教授批判については「先生に、食ってかかったらどうですか。そりゃ、ずるいよ、みんなを煽動し、運動に走らせて、終わったら、さっさと戻ってのうのうとやっている。それこそ、今の学生たちが、糾弾すればいいんじゃないかと思う」と語り、連合赤軍のあまりにむごたらしい総括についての質問に対して「組織を作ると、必ずそうなるんです。権力が生まれると、邪魔な奴は消していこうとするんです。日本でも、相撲協会でも、会社組織でも、世界でも、同じでしょう。うるさい奴は北海道へ飛ばしてしまえ、というのも同じ。人間の欲、権力の欲。ご飯を食べられて楽しく生きられりゃ、それでいいのに、どうしてか、人間の心はそうなってしまう」と、権力と組織の普遍的な形として、総括を語りました。

「実録・連合赤軍」と「キャタピラー」、2つの作品が交錯し、組織と個人、男と女、暴力とエロス、濃密な若松ワールドが展開している早稲田松竹、上映は今週いっぱいです。劇場へぜひ、足をお運び下さい!

2011年02月13日

若松組、始動!

2月9日朝、代々木駅前を出発したロケバスの車内で、若松組クランクイン恒例となった、赤飯のおにぎりが配られた。バスは一路、冬の新潟へ。車内には、程よい緊張がみなぎっていた。
そして、時折粉雪の舞う北国の刑務所前で、ファーストカットの撮影が始まった。灰色のコンクリートの横を歩く、一人の男性の姿。五年の刑期を終えて出所してきたばかりだ。

男を演じるのは、「実録・連合赤軍」で森恒夫氏を演じた、地曵豪さん。
船戸与一原作の「ホテル海燕ブルー」が、若松孝二によって、新たに生まれ変わっていく。

その日予定していた撮影は、あっという間に終了。監督の早撮りは健在だ。目の前の役者と風景を、次々にキャメラで切り取っていく。
それにしても、北国の凍てついた風景と監督は、よく似合う。人の心の乾きや熱さを、その風景の中で、巧みに映像にしていく。
四年前の、連合赤軍のロケを思い出した。

海の家に響く怒号

撮影2日目。吹雪いたかと思うと、薄日がさし、また粉雪が舞う。変わりやすい冬空の下で、男が列車に乗り込むシーンの撮影。車内は監督と地曵さん、撮影部2名だけの、ゲリラ撮影。線路の向こうには、強風にうねる日本海が深緑色の波しぶきあげている。監督、キャメラの辻さんに、実景撮りの指示も出す。恐らく、監督の頭の中には、近くクランクイン予定の「三島」があるのだ。

その後、バスで北上し、海の家で、男が出所後初めて食事をとるシーンの撮影。到着してわずか数分で準備が整い、あっという間にキャメラが回り始めた。
閑散とした冬の海。どんよりとした灰色の空を見つめながら、湯気の立つお椀をすすり、ご飯を頬張る男。しばらくすると勢いよい咀嚼が止まる。久しぶりのボリュームある食事に、刑務所の食事に馴染んだ胃が過剰反応を起こす…。
その瞬間、監督の怒号が響いた。そんな時、どう感じるんだ、もっと戸惑うだろう、もっとうろたえるだろう、もっと、もっと!!
監督のイメージが、ぐいぐいと役者を追い詰め、表情がますます研ぎ澄まされていく。
あっという間に3カット終了。
昼食を挟んで、男が嘔吐するシーンと海岸を歩くシーンの撮影で、今回の予定は全て終了した。

監督は、あまりこまごまとしたディテールにこだわらない。ただ、そこの芯にあるもの、その瞬間の人間の生の迸りのようなもの、その一点に集中して、そこだけは妥協しない。理屈ではなく、嗅覚のようなものだ。
男の目が見据える先に、その視線の先に、監督はどんな世界を紡ぎ出すのか、これからのロケに静かな興奮を覚えるクランクイン2日目となった。

2011年02月17日

第1回「山梨文学シネマアワード」で「マスタークラスアワード」を受賞

2011年2月13日(日)、山梨県甲府市において、第1回「山梨文学シネマアワード」が開催されました。このイベントは山梨県が文学と映画において深い関係があるということから映画・文学で活躍している人たちを賞賛するというものです。
若松孝二監督は「マスタークラスアワード」を受賞し、授賞式と祝賀パーティに出席しました。
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また、翌14日の午前10時からのワークショップでは、若松孝二監督と「LLADRO アワード」を受賞した平山秀幸監督とのトークショーが行われました。
「どんな映画でも監督の主張したいことが一つはあるもの、それを見逃さないで鑑賞してほしい」と若松監督は、スポンサーのついた映画での監督の自己表現することの難しさを発言。
平山監督は「技術が進歩して、人間のワザという技術力が落ちているのではないか」とコンピュータ処理に頼りすぎる映画作りに警鐘を鳴らすなど、表現について考えさせられる中身の濃いトークショーとなりました。
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2011年02月18日

防衛省へー

2月15日、市ヶ谷の防衛省へ。
かつての陸軍士官学校1号館だった市ヶ谷記念館などを見せてもらう。

この記念館の1階にある大講堂は
極東国際軍事裁判(東京裁判)の行われた場であり
この記念館の2階にある前陸自東方総監室が、
三島由紀夫と森田必勝が自刃した場である。
まさに、昭和の空気が色濃く充満している建物だ。
若松監督は、総監室から、窓の外のバルコニーに目を転じた。
そのバルコニーこそ、三島が「諸君の中に、一人でも俺と一緒に起つ奴はいないのか?」と
自衛隊員に呼びかけた場所だ。
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すでに各地の舞台挨拶などでも公言している通り
監督の次回作の1つが「三島由紀夫」。
今回の見学にはNHKの取材クルーが同行。
「現場を目にして、どのような思いが?」との問いに、
監督は「ますます(「三島」を)撮ろうという思いが強くなりました。
彼らは、どんな思いで、この場所に来たのだろう、と。
僕は、再現ドラマを撮るつもりはありません
人間としての三島をどう描こうかと考えているのです」と語った。
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監督の頭の中で、さまざまなイメージが一つの流れとなって渦巻き始めている。
その手応えを感じた一日となった。

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