東北関東大震災からもうすぐ2週間である。大きな地震。大津波。そして見えない放射性物質の恐怖をまき散らす福島原発の未曾有の事故。
節電のためといって普段より控えめになった、駅構内やスーパーの照明。この落ち着いた明るさで、ちょうどいい。なぜ今まで、あんなに必要以上に、煌々と照らし続けて、電力会社を儲けさせてきたのだろう。なぜ、口角泡を飛ばして災害の状況を報じているテレビ局のスタジオは、相変わらず眩しい程のライトで照らしているのだろう。大体、連日の自粛の広告は何なんだ。善意の大合唱、個人の努力推奨の裏側でごまかしがあるんじゃないか…というような事を話しながら、ロケハンや本直しの日々を送っている。
24日に訪れたのは、江東区にある昭和初期に立てられた重厚なビル。古き時代の薫りただよう空間に一歩足を踏み入れると、淡く光る玄関のガラスの金色や、入り口脇にしつらえられた木彫りのコート掛けなど、時代を超えた職人技の美しさに息を呑む。どこにも陰ができないまぶしさで照らされた無機質なテレビ局のスタジオの対極だ。そこかしこに、時代を超えて呼吸してきた空間の湿度と温度を感じる。階段を降りていくと、そこから、楯の会の制服に身を包んだ青年が、ふっと現れてきそうな気さえした。
そして翌25日は、御殿場周辺のロケハン。うすく靄のかかった空を、白銀の富士山が切り裂くようにそびえ立っている。御殿場といえば、かつては「処女ゲバゲバ」や「天使の恍惚」、最近では「17歳の風景」など、若松プロのオープンセット?とも言える場所。
荒野と富士山、乾いた大地にそびえる記号化したようなその風景を見つめる若松監督。三島由紀夫氏の心の渇きに思いを馳せているのだろうか。
役者さんの衣装合わせも着々と進んでいる。
不思議なものだが、衣装を身にまとった瞬間、役者さんの表情が一変する(ように感じられる)。人が他人を演じることの奥深さを感じる。
若松監督は、よく撮影の現場で、役者さんにこう怒鳴る。「モノマネじゃないんだよ!お前だったら、どう感じるんだよ!」
今回の現場でも、きっと、度々、こうした怒号が響くに違いない。