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2012年11月 アーカイブ

2012年11月02日

追悼を越えて! 若松孝二in新宿、始動!

めそめそし続けるわけにはいかない。
若松孝二の背中は、もう遙か先にある。
追いかけていかなければ、ならない。
歩かなければ、ならない。

「映画に時効はない」が口癖だった若松は、
「怒りが俺の映画作りの原動力」
「俺が死んでも、作品は50年、100年と残るんだ」と、
作品で世の中に勝負を挑み続けていた。

来年3月の『千年の愉楽』公開に向けて、
新宿及びその周辺で、「追悼を越えて」と銘打って、
今後、各劇場での特集上映や『千年の愉楽』先行特別上映などが相次ぐ。

単なる「追悼」ではなく、
常にサインに「心」と書き添えていた若松孝二の
「心」を受け止め、つないでいく。

このイベント第一弾が『若松孝二オールナイト』inテアトル新宿

11月23日(金)開場22:15 開演22:30(5:00終了予定)

今年のカンヌ国際映画祭正式招待作品ともなった
『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』と、
三島氏の自決を受けて急遽台本を書き直して撮影された
『死にたい女』(1970)の新旧2本を上映し、若松孝二の映画人生に迫る。

トークは二部構成で
part1「映画監督・若松孝二を語る」では足立正生、平沢剛(聞き手)ほか。
part2「現在進行形の若松孝二」では、キャストの井浦新、満島真之介、
大西信満、地曵豪、渋川清彦、岡部尚、キャメラマン辻智彦ら
近作の若松組を支えた面々が登壇する。

『実録・連合赤軍』『キャタピラー』『11.25自決の日』
『海燕ホテル・ブルー』のメイキングに加え、
未公開の『千年の愉楽』メイキング上映も。

若松孝二が「差別をしない街」と愛した新宿の地で
濃く深く、「若松孝二」と語り合うオールナイトである。

詳細は、テアトル新宿にて。
http://www.ttcg.jp/theatre_shinjuku/topics/detail/16845

2012年11月07日

「千年の愉楽」公開決定!2013年3月9日全国公開。

今月23日にテアトル新宿で行われる
「追悼を越えて 若松孝二in新宿」オールナイトイベントを皮切りに
12月9日〜文芸坐にて
12月15日〜キネカ大森にて
監督の旧作・近作の特集上映が「追悼を越えて」part2、part3として
次々にスタートする。

そして、最新作『千年の愉楽』の全国公開が
来年3月9日に決定した。
都内はテアトル新宿にて。

この全国公開に向けて、さらなる「追悼を越えて」の思いをつないだ
各地でのイベントが予定されている。

若松孝二は、私たちに、立ち止まることを許さない。
現場では、キャストの演技にダメだしをしながら
後ろ側でもたつくスタッフのわずかな動きも見逃さなかった。
頭の後ろにも目がついているのか!?というような若松孝二の眼力。
ヒリつくような現場の緊張感が、今も皮膚に生々しく蘇ってくる。

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そうだ。追悼を越えていかねばならない。
「千年の愉楽」という、監督人生最期の大勝負を
きちんと、やり遂げねばならないのだ。

2012年11月09日

「追悼を越えて」第二弾、決定! 新文芸坐にて。

「逝去」「享年」「追悼」「故人」
これらの言葉と「若松孝二」が
いまだにつながらないまま
「追悼を越えて」第二弾が走り出した。

若松孝二in池袋
Underground&Independent1966−1979
12月9日〜14日 池袋・新文芸坐にて。

「餌食」「聖母観音大菩薩」から「犯された白衣」
「ゆけゆけ二度目の処女」「新宿マッド」そして
「赤軍-PFLP世界戦争宣言」「天使の恍惚」まで
60年代70年代の若松作品を一挙に12本、上映する。

毎回、様ざまなゲストが登壇予定。

若松孝二は、フィルムの中で、今も、怒りの歌を歌い続けている。

追悼を越えて 若松孝二in池袋
詳しくは、新文芸坐のHPにて近日告知。

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2012年11月12日

11月18日(日)多摩映画祭にて!

「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」は
監督がいつも語っていたように、
「実録・連合赤軍」と対をなす作品である。

あの、激動の時代とは何だったのか。
若者たちを、情熱のままに疾走させたものは何だったのか。

かたや、同志粛清の果てにあさま山荘の銃撃戦へ。
かたや、自衛隊との訓練を経て、自らの割腹へ。

そして、「三島由紀夫」個人の物語ではなく、
あくまで、三島由紀夫という稀代の人物と出会い、
三島自身の命、そして己の命を、突き進めないとわかりつつ
突き進んでいった、その様である。

三島と共に割腹した学生長・森田必勝を演じた
満島真之介が、この度、多摩映画祭で最優秀新進男優賞を受賞する。
クランクインからアップまで、連日監督の怒声を浴び続けた満島の
渾身の演技が評価された。

18日(日)には、ベルブホールにて、
「11.25自決の日」上映と、井浦新、満島真之介のトークイベントが行われる。
http://www.tamaeiga.org/2012/program/013.html

登壇予定だった若松監督の「心」を視聴者に伝えるべく
井浦らが、壇上に立つ。

1年前の今頃は「千年の愉楽」ロケ佳境

思い出す。
ちょうど一年前の今頃は、三重県尾鷲市の須賀利で
めまいがするような濃密な空間の中で
無我夢中で「千年の愉楽」のロケを進めていたことを。

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晴れると、尾鷲湾に太陽が照りつけて、
路地の斜面にも陽射しが降り注いで、
暑いほどだった。

ナイトシーンの撮影の必要がある時以外は
撮影はたいてい、夕方4時頃には終わった。
尾鷲湾の向こうに日が沈むと
すうっと気温が下がって肌寒くなる。
翌日のスケジュールを確認し、衣裳を確認し終わると、
真っ暗な海沿いの道、集落に2軒だけある民宿まで
歩いて帰ったものだった。

監督は、毎日毎日、階段だらけの路地の中で
上がったり降りたりを繰り返しながら
新しいシーンを生み出し続けていた。
地元の婦人会「おんばんの会」が作ってくれるお弁当は
イカの刺身やら、焼き牡蠣やらまであって
ロケ最中のお楽しみだった。

監督、夢中で走った日々でしたね。
もうすぐ、この作品の公開が始まりますよ。

2012年11月19日

若松孝二と井浦新の背中

第22回多摩CINEMA FORUMにて、
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」
森田必勝を演じた満島真之介が
最優秀新進男優賞を受賞した。
そして昨日、ベルブ永山のホールにて、
「11.25自決の日」の上映と井浦・満島のトークが行われた。
満員の場内には、遠くは大阪から見えたお客様も。

そして、思わぬ交通渋滞により井浦の到着が遅れ
満島一人でトークがスタートした。
「受賞の知らせを聞いて、監督からすぐに電話をもらった。
良かったな、と喜んでくれました」と、初の一人でのトークに
緊張しつつ話し始めた満島。
新宿の古い喫茶店に、破れたシートの自転車にまたがって
現れた若松孝二との初めての出会いの衝撃を語った。
「ユマニテの社長とばかり話していて、僕の方を
ほとんど見ないんです。だけど、時折僕をちらっと見る
サングラスごしの一瞬の目が忘れられないんです。
監督から言われたのは「髪を切れるか?」ということと
「自衛隊に訓練に行けるか?」という2つだけで」
一体、なんで自分に決まったのかすらわからずに
現場がスタートしたのだ。
そうだ、誰もが、いつも、状況がよくわからないままに
まずは走り始めるのが若松組である。
走り出しながら、人間の中から、なにものかを絞り出すのが
若松孝二だったのだ。
そして、初めての劇映画の出演が、若松組だったという満島の
悪戦苦闘の日々が始まったのだった。

…と、あの日々を思い返して語っている間に
井浦新が到着、「遅れてすみません!」と会場に入るや
拍手がわき起こった。

ロケ中は、監督の「バカヤロー、やめちまえ!」
「幼稚園生みたいな芝居するな!」という罵声を浴び続け
何も考えられず、ひたすら監督と井浦の背中だけを見つめ続けていた
という満島に、新は
「真之介は、僕が若松組の現場を見た中でも
最も強烈に追い込まれ続けていて、羨ましいほどではあったけれど
監督から同じく檄をもらった者として、
彼の精神状態はわかれど、助け船を出すことはできない。
ひたすら、真っ青な顔になっていく真之介を見守り続けた」と
当時を振り返った。
井浦自身も、監督との出会いとなった『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』に
出演することになった経緯を語り、
「監督が連合赤軍を撮る、その事自体が事件だと思った。
 役者としては参加できずとも、現場の最前線に存在していたいと思った」と
監督に「スタッフでも何でもいいから、現場に行かせて欲しい」と
直談判した胸の内を話した。

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「若松孝二」が、今、トークの場に座っていない現実が
今や、当たり前の事として動き出している。
ホールのロビーには、過去の映画祭の受賞者たちの写真が
並んでいた。
2010年、「キャタピラー」で新進男優賞を大西信満が、
最優秀女優賞を寺島しのぶが、特別賞を若松孝二が受賞し、
3人の写真が何枚も並んでいた。

時間は、とどまる事なく、さらさらと流れ続けて行く。

監督がいた時間があり、監督がいなくなった時間が流れ、
しかし、井浦や満島ら、一人一人の存在の中に
若松孝二がしっかりと刻み込まれ、作品の中にも若松孝二が生きている。

そのことを引きずって、覚悟して引きずっていくしかないのだと
井浦の眼差しが、教えてくれた。

いよいよ、今週23日(金)には、テアトル新宿にて
「若松孝二 追悼を超えて」の第一弾、オールナイトイベントが始まる。

写真は、上映終了後、若松プロ恒例となった公式ブック販売に
並んで下さるお客様たちの長蛇の列。
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2012年11月20日

若松孝二に安吾賞

昨日、新潟市の発表にあったように
この度、若松孝二監督に、安吾賞が贈られる。

これは生前から決まっていた事で、
9月に受賞の知らせを聞いた監督が、
「文学的でない僕に、安吾賞って不思議だなあ。
 でも、堕落論だろ。戦後のあの時代に、あんな事言って
 世の中をあっと驚かせた安吾さんの賞を、
 もらえるなんて、嬉しいね」と子どもみたいな笑顔を
浮かべていたのを思い出す。

戦後、それまでの価値観が崩壊した中で、
理性と理屈で良いと考えてた諸々から
全て崩れ落ちて、そこから出発だ、と考えた坂口安吾。
方や、もとヤクザ、拘置所に半年、といった前歴を持ち
「時間は守る」「掃除をする」「ご飯を残さない」
「うどんをよそう時は小皿を鍋の縁より下に」……などなど
挙げたらキリがないほど、小さな一つ一つを大切に
誠実にやることを重んじて、地道な積み重ねを続けて来た若松孝二。

逆といえば逆だし、何か通じるといえば通じるのだ。

いずれにしても、監督は、「素直に嬉しいよ。
安吾賞受賞のお祝いと僕の喜寿祝い、一緒にやろうか。
いや、まずは家でモツパーテーするか」等々
楽しい事をあれこれ考えて、心弾ませていた。

その楽しい瞬間を思い出し、
監督は、どこまでもシンプルで、それ以上でもそれ以下でもないところを
実にそのままさらけ出していたなあ、と思い返し、
だからこそ、監督の背中を見つめ続けていた井浦新が
さらに満島真之介が、ああして、多摩映画祭でも
監督の事を、嬉しそうに、大切そうに、話しをするのだろうと
改めて思うのである。

安吾賞の都内での発表式は12月20日。
監督と関わりも深く、新作『千年の愉楽』でも
礼如役として若松組の要の存在感を発揮した
佐野史郎が登壇する。

2012年11月22日

いよいよ明日、テアトル新宿にて!

まもなく師走である。
慌ただしい年の瀬に、都知事選と衆院総選挙。
いつのまにやら、争点が、金融政策にスライドしている。
物価上昇率?建設国債?
今、向き合うのは、そこじゃないだろ!
監督のツッコミが聞こえてくる。


明日の夜、久しぶりに、若松孝二と
ゆっくり語り合える時間がやってくる。
「追悼を越えて 第一弾 若松孝二in新宿」atテアトル新宿。
22時15分開場 22時30分開演

「死にたい女」「11.25自決の日」2本の本編上映に
トークpart1「映画監督・若松孝二を語る」足立正生、平沢剛
トークpart2「現在進行形の若松孝二」井浦新、満島真之介
大西信満、地曵豪、岡部尚、渋川清彦、辻智彦
「メイキング」(近作5作品)上映と、
週末、朝5時まで、どっぷりと若松孝二に浸る一夜である。

その場に、なぜ、若松孝二がいないのか、ということが
まだまだ腑に落ちないのであるが、
とにもかくにも、追悼を越えていかねばならないのである。

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2012年11月24日

エンジンが温まった夜

昨夜、時折冷たい小雨が降る中、
「追悼を越えて」第一弾「若松孝二in新宿」
オールナイトイベントが始まった。
早めに劇場入りすると、ロビー奥の黒いソファが目に入る。
いつも、ほぼ先乗りしている若松監督の定位置だ。
昨夜は、そこは空席。

22時30分「死にたい女」上映が始まった。
1970年11月25日。三島由紀夫と森田必勝の割腹自殺を
信濃町のホテルで知った若松監督と足立正生氏。
当時書いていた脚本をとりやめ、急遽書き上げられたのが
「死にたい女」である。
裸の女の上に順々に被さっては走り去っていく褌と鉢巻きの男たち5人。
いきなり流れるウェディングマーチ。
いきなり怒涛のごとく流れていくスタッフキャストのロール。
「死にたい」男と女、「死におくれた」男と女、
取り残された楯の会の若者かもしれないと匂わせる
若者のぐるぐる自家中毒。
若松孝二と足立正生がゲラゲラ笑いながら映像で遊び倒した
その様が見えてくるようで、それでも
「生きる」も「死ぬ」のも、見える風景はそんなもの、という
そんな乾いたジリジリ感が、荒削りの映像にしみ出していて
暗闇のスクリーンで、たっぷり監督と遊ばせてもらった78分。

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その後は、若松監督の「盟友」という枕詞が定着してしまった
足立正生氏と、映画研究者の平沢剛氏のトークが始まった。
「バカや冗談を言い、罵りあいながら、
 映画を通してどう生きるかを、さいごまで考えていた。
 近年は俺が書いた脚本を、「くっちゃべる映画は面白くない」と採用せず
 でも、培ってきたものを、そのまま映画にし続けて来た。
 彼は常に、自分が苦労してきた生き様を、その「自負」を
 自分の作品の確信にしていたのだろう」
これまで、若松監督と一緒に登壇する足立さんしか、見たことがなかった。
そういう時の足立さんはいつも、辛辣な言葉で
若松孝二を挑発したり、からかったりしていた。
それがこの夜は、マイクを握り、前を向いたまま、淡々と言葉を語る。
「通常の独立プロは、その監督の作品を作るためのプロダクション。
 若松プロは、若ちゃんは、すぐに「お前、脚本かけ」「お前、監督やれ」と
 関わってきた奴らにチャンスをつくり、配給に頭を下げてやってきた。
 若松という人物を場にしながら、ワイワイやっていたんだ。
 撮影現場では独裁的で、天気が悪いのも足立のせい、となるが
 企画を考えるような時は、本当に誰ともヒラに付き合い
 意見を聴き、決してお高くとまらない、特殊な人だった。
 罵り会う相手がいなくなると、
 大きな空洞、という以上のものがあるんだ」と話した。

前衛的な、攻撃的な、作品の匂いは、時代とともに変われど
「作る」=「生きる」であった若松孝二の芯は
50年間の監督人生において、何ら変わらなかった事を
足立さんの語る言葉の隅々から感じることができた。
「自分が死んでも映画は残る、と若ちゃんは言ってきた。
 その都度、時代の中で評価も見方も変われど、
 彼がずっと柱にしてきたのは、生きるための根性で
 それは、意外かもしれないが、彼のまじめさにあったんだ」と
足立さんの言葉の一つ一つが、すべて、腑に落ちていくトークpart1となった。

続いて、「連合赤軍」から「千年の愉楽」までの
5作品のロケ現場の「若松孝二」凝縮の「メイキング」上映。
連合赤軍撮影時の若松監督が、やはり尋常ではない
燃え上がり方をしていたことが、改めてスクリーンに映し出された。

そして後半は、近年の若松組常連キャストスタッフトーク。
井浦新、大西信満、地曵豪、渋川清彦、岡部尚、満島真之介、辻智彦(キャメラ)
7人が、客席の最前列にずらりと並んで立ち、
自分たちの中の若松孝二、現場や日常遭遇した若松監督とのエピソードを
さまざま披露。
司会は急遽、大西信満が担当し、若松組らしい、
等身大でお客様の前に立つトークイベントとなった。

出てくるエピソードエピソードに、客席からは笑い声が。
まさしく「追悼を越えて」いく、イベントとなった。

確かに、若松孝二は、たくさんのものを産み落としていった。
スクリーンに映し出される若松監督の顔、手、頬、背中。
それらの肉体はなくなれど、確かにたくさんの手触りが残っている。
エンジンが、静かに温まった夜だった。

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