23日安吾賞授賞式の翌日は、晴れたりいきなり吹雪いたり
そんな空模様の中、シネウィンド新潟にて
「11.25自決の日」「千年の愉楽」それぞれ
上映後に舞台挨拶を行った。
「11.25自決の日」では、主演の井浦新と
自衛隊の富士学校校長役の篠原勝之、
そして若松孝二の右腕、撮影の辻智彦が登壇した。
それぞれが一言ずつ述べた後は、会場とのティーチイン。
会場から、手が上がり、質問が相次いだ。
「三島の演説シーンは、本来なら言葉を一番
聞かせたい部分のはずが、聴衆の野次の大きさで
ところどころ声もかき消されるほどで、
そこに三島の悔しさが表現されてたと思う。
が、彼は自分にはドンキホーテにしか見えず
実際に、彼が何か残したものがあると、思えますか」
新は、三島の存在があったからこそ、
このような作品がつくられた事、そして
ラストシーンの古賀の両てのひらが
一体何を現しているのか、その問いかけが
我々に残された、と答えた。
篠原は、「そういうのはね、
みんなが自分の頭で考えればいいんであってね
こっちに答えを聞いても
面白くもなんともないだ」と一言。
現場での若松孝二についての問いかけに対し
辻は「監督は常に、どう演じるかではなく
どう存在するかを求める人だった。
そして、この作品においては、
台本には書かれていないようなエネルギーが
新さんの存在感からほとばしっており
そのエネルギーによって成立した作品ともいえる」と語った。
篠原は、自分の出演シーンにおいて
監督が小道具の食事がなかなか届かずに
監督の怒りが爆発していた直後だった事をあかした。
「いろんな段取り全部、頭から飛んじゃって
つい、乾杯の前に飲んじゃっただよ。
で、辻さんがカメラの横でニコってしたから
そのまんま、続けただよ。
途中でやめたら、若松さんは怒るしな」
予定をはるかに超過して終わったティーチイン。
続いて、「千年の愉楽」上映が始まった。
場内は補助席も全て満員。
上映後、高岡蒼佑、井浦新が登壇し、再びティーチインが始まった。
作品を語り、役柄を語り、現場を語って後、
高岡が、「監督と一緒に湯布院に行き、
ベネチアに連れて行ってもらった。
そして、各地での先行上映が始まったら
監督はもういなくて。でも、こうして各地を回って
監督の作品を愛してくれているたくさんの人たちの
顔をみることができて……これを、監督に
見せてあげたかったと……」と言葉をうしなった。
沈黙の続く高岡、ようやく「花粉症がひどくて…」と
ジョークで言葉を続けると、井浦が
「新潟はね、花粉すごいよね」と助け船を出した。
「でも高岡君、ほんとにしゃべるのうまくなったよ。
先行上映の最初の頃は、まだどこかぎこちなくてね。
でも、作品を持って全国を回って、しゃべり続けるうちに
どんどん話せるようになって。これが若松組なんだよ。
若松組の、作品への関わり方なんだよね。
僕も、レンセキの最初の頃は、全く話せなくて……」
若松監督がいなくなった後も、若松組のやり方で
作品の公開まで走り続けられたこと。
キャストや監督とつながりのあるたくさんの人が
ともに走ってくれたことを思う。
「映画に時効なし」と言い続けていた監督。
これからも、監督の作品が生き続け、見続けられていく間は
いろんな批判も批評も続くだろう。
それは、若松孝二が、そこにいるからだ。
公開まで、あと2週間足らず。
作品は、もう一人歩きを始めた。
あとは、もっと遠くへと打ち上げていくだけだ。