前日の悪天候から一転、カラリと晴れ渡った日曜日。
テアトル新宿にて『千年の愉楽』のトークイベントが行われた。
「この作品上映する時は、路地の事とかいろいろ
話していかないとならないな」と話してた若松監督。
それならば!と、企画した、テアトル新宿のファイナルイベントは
「路地の背景に広がるもの」として、
脚本の井出真理氏と評論家の菅孝行氏をお呼びして
わずか30分という時間の中で、
<路地>とは何ぞや。若松孝二は何を描きたかったのか。
シナリオが出来上がるまでに、どのように手探りしたのか…
みっちりと語って頂いた。
井出氏は、若松孝二に「半蔵と三好の物語を軸に
全て、オリュウに還っていくように描いて欲しい」と依頼された事を語り
「〝差別〟は、してる側はその事実をないものとして生きていけるけど
されている側は、〝ないもの〟として扱われたまま生きていかねばならない。
それに対していかに抵抗していくか、という物語だと考えた。
そして、オリュウの抵抗の方法は、力ではなく
ずっとそこに〝存在し続ける事〟であると考えたんです」と話した。
菅氏は、「中上健次と関わりのあった編集者に
『千年の愉楽』が映画化されるらしい、と話したら
「映像化不可能だろう」という反応だった。
確かに、あの文学をそのまま縦に映像化したら
単なる笑い話にもならない作品になっただろう。
その事を若松さんも井出さんも十分承知で
だからこそ、原作の骨格は残しつつも、
全く異なる、極めて論理だった物語に生まれ変わった。
これの好き嫌いは分かれるだろうけれども」と話した。
さらに、菅氏は、〝高貴で汚れた血〟という言葉が表すもの、
命の入り口と出口を司る存在は最も高貴であるか
最も穢れたものとして扱われるかしかなかった事。
極めて近いその存在が、光と影につくりかえられた事などを
明快に語った。
井出氏は、<路地>の人たちの日常をいかに描くかに腐心し
臓物で油かすを作って行商するミツの存在を作りだした事や
漁業にも加われない状況を三好の一言に込めた事などを語った。
そして、極めて神話的な小説である原作を映像化する象徴として
シナハンで見出した花の窟を語った。
30分はあっという間。
でも、きっと、監督が語りたくて語りたくてしょうがなかった事を
二人が作品を語る事を通して話してくれた30分に
監督はニンマリとしたはず、と思えたテアトル新宿の最終イベントは
無事、そして静かに終了した。
足をお運びくださったお客さま、ありがとうございました。
いよいよテアトル新宿での上映は今週金曜まで。
熱狂的でもなく、淡々と続いている『千年の愉楽』全国公開である。
でも、淡々の内側に沸々と沸き上がっているのである。