昨夜、ポレポレ東中野にて一夜限りに
『裸の影 恐るべき遺産』上映。
上映後には塚本晋也監督のトークが行われる事もあって
きれいに満席となった場内でした。
新作始動で超多忙の中、駆けつけてくださった塚本監督、
「恐ろしい戦争を正攻法に描きながらも、可愛らしいというか
ああ、好きなんだな、というような、若松監督らしさが
どうまじめに撮ってもにじみ出てくるような感じがあって
いいんだ、にじみ出てきちゃって、これでいいんだって
勇気をもらえましたね」と作品についての印象を語りました。
ちょっとしたアングルの遊び心、お客さんへのサービス心、
いろいろちりばめつつも、正攻法に初々しく描きながら
やっぱり根底には、戦争の理不尽さへの怒り。
常に怒りが原動力となっていた若松監督らしさは
塚本監督が、若松監督や深作監督、崔監督らとともに中国の映画学校に
文化交流に行ったエピソードの中にも。
中国当局を交えての親睦会の場でも、持論をぶち上げ、
トラブルで『鉄男』が上映できなくなった時には
親分肌を発揮する若松監督なのでした。
塚本監督と若松監督は、作風は全く異なるけれども
「塚本君は玩具の中で遊んでいるみたいなんだよな」と
若松監督が一目置いていた塚本作品の魅力。
「自分の中で、何かムズムズする事があると
それをメモしておく、というのはありますが、
そこに、その時代なり社会の状況なりが重ならないと
なかなか水面下から出てこない、というのがあって。
それが、ある状況になった時に、ムズムズが映像になっていく」
と自らの作品の源流について塚本監督が語りました。
そして、これまでは自らの頭の中ばかりを突ついて突ついて映像を作ってきたけれど
この人の頭の中を描いてみたい、と塚本監督に思わしめた存在が
Coccoさん、そして生まれたのが「KOTOKO」であった事、
子どもを守らねばならない母親の精神を描きつつ、
折しも起きた震災と原発事故が時代背景となって
見る人に、さらに深い問いを突きつけてくる。
…というような作品を撮り終えた塚本監督が、次に向かうのは?
と、新作について、会場から質問が出ました。
これまでの作品をつくりながらも、内側に温めてた思い
時代状況への危機感も含めて、塚本監督の控えめな言葉の中に
次回作への強い思いが語られました。
若松監督と塚本監督はかつてラジオの対談の中で
若松「俺たちはさ、BOX東中野(ポレポレの前身)に来てくれるような
お客さんを相手に映画を作って行きたいよな」
塚本「映画はぶきっちょに、好きな人は少なくてもいいから
その人たちだけムチャクチャ好きでいてもらえるようなのをつくりたい」
と語っていたのですが、
その劇場にて、若松監督の初期作品をお客さんとともに観て
若松監督や映画について塚本監督に語って頂く時間を持てた事、
何よりも、終戦記念日の翌日に、「戦争」を描いた作品を通して
再び若松監督に邂逅できた事に、巡り合わせを感じたイベントでした。
作品は、次々と生まれ、そして生まれると、ずっと残っていきます。
「表現に時効はないんだよ」と語り、
「映画は俺の玩具なんだよ」と語った若松監督、
「玩具ったって、こっちは命がけで遊んでんだよ」とも。
本日は、新・文芸坐にて「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」と
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」の二本立てが続いてます。
15時20分からは、大西信満さんと満島真之介さんがトークに駆けつけます。